【三題噺】Twilight Sky【お題:兄/銀/夕暮れ】

この度、女装オタクの有馬さんに誘われて三題噺を書くことになりました。
他にも数名参加者さんがおります、合わせてお読み頂けると幸いです。
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三題噺「兄」「銀」「夕暮れ」 - 夢も希望もないポケモンブログ


【三題噺ってなに?】
なんか複数人でお題を共有して、それぞれそのお題が含まれたお話を作ろう的なアレです。

初めての物書きなので色々と拙い上に長くなっちゃったので、読むのは大変かと思いますが、是非お時間がある時にでも読んでいただけると幸いです。
それでは、どうぞ。

****

『Twilight Sky』


全く、世の中というものは上手く出来ているものである。
「何か」で優位に立てる存在というのは、その分「別の何か」で劣る存在になる。
同じ人間に二物も三物もなかなか与えようとしない神様の優しさか、悪戯心なのか……そんなことは置いといて。
生まれて十余年、ごく一般的と言えるであろう生活を送ってきた。良く言えば何の不自由もなく、悪く言えば世間から注目されることもなく、聞く人が聞いたらきっと猛烈に怒られるとは思うが、しばしばそんな「普通の自分」に嫌気がさす。
そんな、ある種の贅沢とも言える悩みを抱える俺には二つ下の弟が居る。そう、弟が居るのだ。
こんな「そこら中の人達が特技にしている事を一日見学してきました」くらいの知識と技量しか持ち合わせていない自分の弟なんだから、さぞかし中途半端な人間なのだろうかと思えば、なんということだ。同じ親から産まれたのに自分と比べて……いや、同級生全員と比べたっていい。運動をさせたらどんな事だって一際輝く存在になり、勉強に於いても上位に名を連ね、容姿は自分と兄弟だけあって似ている。そう、似ているのだが明らかに「質」が違う。俺の身体の全てを一流の職人が上手に仕立て直したかのように整っている。そんな高スペック弟なのだからさぞかし内面でも腐っているのかと思えば、あぁなんと無情なことか。この弟、性格までしっかり出来ているのである。優しさを持ち合わせつつも、年相応の無邪気さを兼ね揃えていて、いつも友達に囲まれている。もし「上位互換」という言葉に実家があるのなら、きっと俺と弟の間に存在するのだろうと言いたくなるような存在だ。
そんな弟に対して、俺は『兄』という点でしか優位性を持つことが出来ない。そんなことを考えてしまう自分の醜さに対してまた嫌悪感を抱く。こうした一種のコンプレックスのような感情を内に抱えつつも、何とも出来た弟である故か、兄として誇りに思ってもしまう。これもきっと弟が優れた存在だからこそなのだろうが。

はらり。

そうやって無駄に自分の境遇を見つめ直しながら歩いていると、街路樹から色付いた葉が僅かに濁りを混ぜ一枚、一枚と降ってくる。
「秋も終わるなぁ」
思わず溜息混じりの声が漏れた。
もう木の葉も色を搾り終え、冬を待つ時期。俺達にとってそんな季節は、こうして降ってくる落ち葉の色のように、僅かな期待と不安がおり混ざったものだ。
俺は高校で美術部に所属している。
秋と冬の狭間、芸術の秋に別れを告げる為の祭りであるかのように、この時期になると辺りの高校が合同で絵画コンクールなるものを開催し、美術部員は総出でこのコンクールでの受賞を目指すことになる。当然俺も例外ではないし、何となくの趣味の延長線上とは言え、好きで入部したこの美術部の一大イベントには、人並みに熱が入っている。
今年で三度目、このコンクールを終えると本格的に進路に備えての活動が始まるため、部活も引退となる。一年の頃はただ作品を完成させるだけになってしまったが、二年の時にはこのコンクールで銅賞を獲得することが出来た。何か賞を貰ったことなんて人生振り返っても一度たりともなかっただけに、当時誰もいない所で嬉しさを抑えきれずガッツポーズをして喜んだ記憶がつい先日の事のように浮かんできて、つい顔が蒸気してしまう。
「おい兄貴〜、何ニヤニヤしてんだよ」
ふと耳の近くで声がした。あまりに突然の出来事に跳ね上がる心臓の勢いのまま明後日の方向に飛び出してしまうと、そんな様を見た弟がケラケラ笑いながら立っていた。
「ビックリさせるなよ、陽介」
俺は今もなお跳ねている心臓を抑えながら、一つ咳払いをし、改めて弟の陽介の隣に並び直し、歩き出す。
「ごめんごめん。なんか嬉しい事でもあったの?まぁ大方、『これから起こるであろう嬉しい事』の妄想でもしてたんだろうけど?」
陽介が意味ありげな笑みを浮かべながら問いかけくる。ぐぅ、こいつは昔から察しがいいんだよな。
「うるさいな、別にそんなんじゃないって」
口では強がって否定したものの、実際そうだった。三年間の部活を通して少しずつ自分も成長してる自信があったし、昨年の受賞も含め、人生で初めて「特技」と呼んでもいいのかな、なんて思っていた程度に絵を描くのは好きだし、それなりに自分の技量に対して自信を持っていた。
今年こそは金賞を。その一心で去年以上に工夫と時間を注ぎ込んで仕上げた作品は、贔屓目抜きに見てもいい作品なんじゃないかと思える出来になった。だからこそ、もうすぐ控えた結果発表には期待と不安が一層強く混ざっている。
「そんな事より、お前も今回出品側の人間だろ?大丈夫なのかよ」
「うーん、やっぱり一年にはまだ難しいからねぇ。完成はするけどさ、あんまり自信はないよ」
「そっか」
弟は俺と同じ高校に進学し、さらに同じ美術部に入部した。俺が中学では帰宅部だったのに対して、弟はサッカー部だった。どれほどの実力なのかまでは知らないが、レギュラーとして普通に活躍していたと親から聞いた覚えがある。
そんな弟が、もっと上のレベルを狙えた筈なのに、『家から徒歩で通えるから』なんてつまらない理由でランクを一つも二つも下に落とした高校へと進学し、更にはサッカーをスッパリ辞め、今度は文化部に入部したのだから、いやはや天才の思考はよく分からないものだ。
「まぁでも兄貴が描いてるの横からチラッと見てたけどさ、メチャクチャ頑張ってたし、実際自信もありそうだから、今年は金賞ねらえるんじゃない?」
陽介が茶化し混じりで横から肘で続いてくるのをヤメロと手刀で払いながらも、やはり自分も期待の方が大きいのか、
「だといいけどな」
と少し笑いながら返していた。

****

「お〜い!月兄!陽介!もう部室前にコンクールの結果発表、貼り出してあるみたいだよ!」
空が大きく手を振りながら駆け寄ってくる。
そう、通学路の落ち葉に季節を感じたあの日から数日経った今日、待ちに待ったコンクールの結果発表当日を迎えた。
学校に到着し、自分の教室へと向かおうとしていた俺と陽介のもとへ駆けてきた女子高生は空。家が近所で昔から幼馴染として俺達兄弟と仲良くしてきた彼女は学年で言うと俺の一つ下にあたり、中学、高校とサッカー部のマネージャーをしている。
陽介と同様、小学校からずっと同じ進路を歩んできて、同じ高校に入学した後もこうして小さな犬が飼い主に懐くかのようにニコニコしながら俺達の所へとよく駆けてくる。兄貴離れしろよ、などと茶化しながらも、そんな様が何だかんだ愛おしく思えてしまうようになったのは、一体いつからだったのだろう。
「おはよう空姉!もう確認してきてくれたんだね〜、美術部じゃないのに凄いよその行動力……」
弟は笑いながら言うが、内心俺もそう思う。サッカー部の朝練で学校に早く来たついでとはいえ、自分は関係ないのにマネージャーの仕事を終えたあと、その足で真っ先に確認をしてくれたことになる。陽介もそうだが、大概彼女も性格がいいんだよなぁ、と一つ下の女の子に感心させられてしまう。
「ねぇ兄貴、今から確認しに行こうよ!」
「ん?お、おう……」
陽介に半ば強制的に連れられつつ、俺達は美術部の前へと向かった。

****

別棟にある美術部前廊下。特別用事がない限り、この時間にここを歩く生徒はほぼ居ない、そんな学校の片隅にある美術部の入口のすぐ隣の掲示板に、コンクール結果が書かれた大きめプリントが張り出されてある。
俺達三人が到着した時にも案の定他の生徒の姿はなく、パタパタという俺達の足音が廊下の隅まで響いていた。
さて、気になる結果は……と指でプリントの文字をなぞりながら、入賞者の名前を探す。
「ええと、秋山……月人……」
そうして金賞の項目を見つけた。僕は1年間夢見たその項目を、ゆっくりとなぞる。

「金賞……」


俺は、読み上げた。


「金賞……秋山……」


そこに書かれた、幾度となく口にしてきた、


「陽介」


弟の名を。

「えっ……」
プリントの前に立つ俺の後ろに立っていた陽介と空が声を漏らす。
俺がプリントを指していた指を下ろし、スッと横に逸れると、そこに入れ替わるようにして空が入ってきて、歓声を上げる。
「すごい!すごいよ陽介!一年生で金賞だよ!おめでとう!しかもほら見て、銀賞には月人兄ちゃん!二人揃って入賞!」
空の嬉しそうな声が静かな廊下に響き渡る。空はまるで自分のことのように喜び、陽介の手を取りながら、満面の笑みでピョンピョンと跳ねていた。
「あ、ありがとう……」
そんな空とは対照的に、当事者である陽介はどこか固い笑みを浮かべながら、チラリと俺のほうを見た。
……あぁ、お前は本当に察しがいいんだよな。
陽介が何か言いたげに口をぱくぱくと動かしては閉じるのを繰り返している様を見て、俺は肩をポンと一度叩いて、
「おめでとう、陽介」
と言って、美術部に背を向け自分の教室へと歩き出した。
「兄貴!」
静かな廊下にパタ、パタと規則的に響いていた足音が次第に乱れ始める。自然と自分の歩が速くなり始めた所で、後ろから陽介に肩を掴まれた。
「兄貴、その……」
呼び止めたものの何を言うべきか纏まらないのか、陽介はバツの悪そうな表情をしたまま視線を足元に落としている。
俺はそんな陽介の顔を見たまま、
「陽介、お前ってすげえよ」
ポツリと言葉を漏らした。
「何だってすぐ出来るし、すぐに俺より上に行っちまう。俺のほうが兄貴なのにな」
まるで身体に鋭い刃物を刺され、ドクッ、ドクッと鼓動に合わせ血が吹き出していくかのように、今までずっと秘めてきた気持ちが勝手に口から漏れ出す。
「俺が本当はお前よりも優れていて、いつも背中を追いかけられるような存在でいる。それが兄貴なのにな。全然そうはなれねぇや。ごめんな」
「兄貴、そんな事は」
陽介が何かを言おうとするが、俺の口から溢れる言葉はそれを遮り、なお止まらない。
「俺は! 俺は……お前が羨ましいよ。俺の欲しいものは全部お前が持ってる。俺には何がある? 何にもないんだよ! 俺の出来ること! 望んだもの! 愛しい人だって……全部お前の方が上手く持ってっちまう! お前の周りはいつだって綺麗なもので溢れてるよ! でもそれはお前の一番近くにいる俺も同じ訳じゃない! お前が太陽みたいに輝いてるから! 皆がその光に惹かれて集まるんだよ! 同じように出来ないかなって、俺もお前みたいになれたらなって思った事もあった! でも駄目だったんだよ! 俺にはお前と同じようには出来ない!」
分かってる、分かってるんだ。今言っている事のなかに何一つ陽介が悪いことなんて一つもない。自分が上手く行かないだけのことを、勢いに任せてぶつけてるだけの八つ当たりだ。このまま続けたら、きっと勢いに任せて良くないことを言ってしまう。そんな気がした。
ダメだ。これ以上は。
「違う、兄貴……!」

ダメだ、やめろ

「俺はッ!」

ダメだ

「俺は……お前がいる限り、この世に必要の無い人間なんだよ」
俺は、そんなことを思っていたのか?
最後の一言を言い終えた後、さっきまで身体中を燃え上がらせていた熱が、一気に温度を失っていく感覚に襲われる。違う。そんな事はない。そりゃ確かに優れた弟を羨むことなんて幾らでもあった。でも、俺はそれと同時に陽介のことを誇りに思っていたんだ。やめてくれ、陽介。そんな顔をしないでくれ。今言ったのは俺じゃない、そう。別の誰かだ。俺じゃない誰かが俺の身体を使って悪戯をしたんだ。何か、何か言わないと。今のは冗談だって、ごめんなって謝らないと。
「あ……」
俺が口を開いた瞬間に、パタパタと音を立てながら息を切らした空がこちらに駆けてきた。
先程は何も気付かなかった空も流石に二人の様子と雰囲気からただならぬ状況であることを察したのか、少し言葉を選びながら
「ちょっと……二人とも……」
と途切れ途切れに何かを言おうとした。しかしその刹那、廊下に予鈴が響き渡る。
陽介と空を前に何を言うべきか、まるで頭が纏まっていない自分にとっては救いの鐘とでも言えたその鐘を理由に
「……じゃあ俺、教室行くから」
と俺はその場を立ち去った。
今度は後ろから呼び止められることは無かった。しかし、最後に見た、普段無邪気に笑ってばかりいる弟の、今にも壊れそうな表情がいつまでも脳裏に焼き付いていた。

****

『月兄、ちょっといい?』
学校から帰宅し、部屋の中でただベッドに突っ伏していた俺に、空から連絡が入った。
あれから一日陽介とも空とも顔を合わせることも無く、引退となった自分は部活動のある陽介たちよりも早く帰宅し、一人部屋に篭っていた。
空からの呼び出しに応じ、制服姿に適当なコートを羽織って近所の公園まで出掛ける。カーテンを閉じ、明かりも付けないで部屋にいた時には気付かなかったが、まだ日は落ちていない。かなり長い時間が過ぎたように思えていたが、まだ夕方になる手前といった頃合いだった。
「お前、部活はどうしたんだよ」
公園に辿り着き、ベンチに腰掛けている空を見つけた俺は、挨拶も何もない第一声を投げかけた。
しかし実際、いつも遅くまで活動をしているサッカー部のマネージャーがこの時間に帰路についていることなんてまず有り得ない。俺は少なからずそのことも気になっていた。
「体調悪いって言って、ちょっと顔出して帰らせてもらった。普段ちゃんと仕事してるからかもね、あっさり信じて貰えたよ。えへへ」
なんて笑って見せた空も、何処と無く元気が無いというか、少なくとも笑みを作っているのはよく分かった。
「急に話ってどうしたの?」
俺は素知らぬ振りをしてそう聞いた。
きっと朝の事だ、そんなの俺だって分かる。それでもこのまま微妙な空気を長く維持させたくないという思いもあり、話のきっかけを作ろうとした。
「朝。二人に何があったの?」
「…………」
案の定、朝の話を持ち出してきた空に対し、俺は何と返すべきなのか、言葉をただ探し続け、沈黙を返してしまった。
「答えてよ」
空の言葉に圧力が増し、俺は頭を掻きながら
「ただの兄弟喧嘩だよ」
と返した。
その返事を聞いた空は曇った表情を浮かべ、視線を落としぽつぽつと呟きだす。
「嘘。私、陽介にちゃんと聞いてきたんだよ? 陽介、月兄に辛い思いをさせてた、俺が居たから月兄は今までずっと苦しんでたんだって言ってた。そうなの?」
「それは……」
違う、とハッキリ言わなきゃいけない。
実際、俺はそんな事は思ってない筈だ。だけど今朝、不意に口をついたあの言葉が、本心じゃなかったのか、自分がどう思っているのか、考えれば考えるほど、自分すらその事が分からなくなっていた。
俺が言葉に詰まってるのを見ると、空は伺うように問いかけてくる。
「月兄は、そんなに金賞が欲しかった?」
「あぁ」
空の問いに、俺は小さく頷く。
「何で?」
そう問われ、ふと考え込んでしまう。
そう、俺は金賞が欲しかった。それは紛れもない事実だ。でも何で? どうして金賞が欲しかったんだ? そう考えると、不思議とその理由が出てこない。
好きなことで一番になりたかった、去年の受賞が嬉しかったから、それらは間違いのない事ではあるが、理由の全てであるかと言われると、どこか違う気がする。
「月兄は、陽介に何か一つ、明確に勝るものが欲しかっただけなんじゃないの?」
空の言葉に身体が跳ねる。そうなのか? いや、彼女に言われてはっきりと分かった。俺は形はどうあれ、陽介に対して劣等感を抱かなくて済むものが欲しかったのだ。
今まで色んな事に手を出しては辞めてきた。何でも自分より上手くこなす陽介と並ぶ事で、自分の才能の無さを自覚して、劣等感から逃げてきた。そんな中で陽介がきっと手を出さないだろう、これなら自分も頑張れるだろうという事をようやく見つけ、努力してきた。そんな所にまたやってきた陽介が、恐るべきスピードで自分の背後に迫り、そして今、自分を追い抜いていった。幾度となく繰り返してきた『当たり前』を、たまたま今回、少しの『期待』が悲劇に仕立てあげただけなのだ。
……なんだ、やっぱり結局今回も俺がダメなんじゃないか。そう思った途端、もう何もかもがどうでも良くなってしまった。
目の前にいる愛しい女性への体裁も、自分のこれから先のことも。全部全部どうでも良くなった気がした。
「月兄? 泣いてるの?」
「えっ?」
唐突に、空にそう言われて気づいた。俺の頬を、幾筋も、幾筋も、大粒の涙が流れ落ちている。
「あれ、なんだろ……ははっ。ダメだな……」
幾ら拭っても止まることのない涙。ぼやけた視界の先で、滲んだ空がまたゆっくりと、ゆっくりと問いかける。
「月兄は、銀賞って、嫌い?」
ああ、もう、ダメだ。
陽介と今朝話したときとは違うが、よく似た感覚だ。何か感情という大きな力に押し流されるようにして、俺の口から勢いをつけて言葉が飛び出す。
「好きな訳ないだろ! 二番だぞ! お前は陽介から何を聞いたんだよ! 俺はあいつに負けたんだ! 今回も! これから先だって! ずっとあいつには勝てないんだよ! それでいいなんて思う奴がいるかよ!」
まるで怒鳴りつけるように俺は空へと気持ちを吐き出す。場所も、相手も、何も考えていない。ただ自分の感情を、目の前にいる相手に思い切りぶつけた。それに対し、空は怯むこともなく、声を荒げる自分を真っ直ぐに、けれど優しく見つめ返して続ける。
「ねぇ、月兄は知ってる? 『銀』ってね、昔の哲学では『月』を意味してたんだって。逆にね、『金』は『太陽』を意味してたの」
「はは……は。なんだそれ……」
そうだ。『月』は『銀』で『二番』、俺にぴったりじゃないか。逆に『太陽』は『金』で『一番』。正しく俺達兄弟のことのようだ。
「ほらな、やっぱり」
「月兄、聞いて」
自嘲気味に口を開いた俺を制止しながら、空は続ける。
「確かに銀賞は、金賞より劣るものかもしれないね。でも銀賞は、月は、そんなに悪いものなのかな? 月兄は今、自分に銀賞が……月がぴったり似合う、自分はずっと一番になれない、そうやって思ってるのかもしれない。実際月は、本当に月兄みたいだよ。満月みたいにやる気で満ちたかと思ったら、いつの間にかぽっかり欠けちゃうことだってあるし。確かに太陽の陽介と比べたら、光の強さは少し劣ってるかもしれない。でもね、お日様が沈んだとき、真っ暗になった空を、世界を優しく照らしてくれるのはね。月の明かりなんだよ。月にしか出来ないの。ただ明るさが劣ってるっていうだけで、月が無くてもいい訳じゃないの。」
「空……」
「それにね?」
一言の後に、ゆっくりと深呼吸を挟んでからまた空は続ける。
「それにね、私だって。私だって、今の月兄みたいに苦しくなったり、悲しくなったりして気持ちが夜空みたいに真っ暗に沈んじゃう時があるの。そんな時にはね、いつだってお月様を探してる。太陽の光は眩しくて、明るいよ? でもね、太陽は夜空には眩しすぎちゃうの。お月様は優しく光っていて、満ちたり欠けたりコロコロ姿を変えちゃうからほっとけなくて、眺めてたらいつの間にか沈んだ夜空が段々明るくなっていって。そうして気付いたの。『あぁ、私はもうお月様から目が離せないんだ』って。明るさなんて関係ない。『月』を必要としてる人はちゃんといるんだよ。」
そこまで言うと空は一度俯き、軽く息を吸い込んだあとまた俺のことを見上げて微笑む。
「私みたいに、ね」
ふわりと空気を抱いた髪の毛が揺れた後に現れた彼女の顔は、今まで見たことのないような温かく、優しいものだった。
瞬間、頬を伝っていた冷たい涙が、温かくなった気がした。
結局、俺達兄弟の間で優劣を決めようとすれば幾らでも決められるのかもしれない。それでも、優劣なんか関係なく、俺のことを、太陽の代わりじゃなく月を月として必要としてくれている人が居る。少なくとも目の前に居る愛しい人はそう思ってくれている。それだけで、今まで心の中を厚く覆っていた雲が晴れたような気がした。
俺は無意識に、目の前で自分の肩くらいの高さにちょこんと存在している空の頭に掌を載せ、ゆっくりと撫でていた。感謝なのか、愛情なのか、きっと様々な気持ちが入り交じった末の行動なのだろう。やっている自分でさえ驚くような行動をとられて空は一瞬ビクッと驚いたようだったが、俯きながら何も言わずにその行為を受け入れていた。
「空、ありがとうな。」
俺は心からの感謝を伝える。空は俯きながらううん、と小さく呟き首を横に軽く振る。
「こんな最高の妹分が居るだけで俺は幸せ者かもしれないな?」
なんて少しおどけて俺が言うと、空は俯いていた顔を上げ、僕の方を少し見つめると軽く微笑んで頭の上から掌をゆっくり降ろした。
「……さて!月兄?お月様が今優しく照らしてあげなきゃいけないのは誰かな?」
とニヤリと笑う空の言葉でハッと我に帰った俺は、まだ一番大事な問題が解決していない事に気がついた。
陽介に謝らないと。仲直りしないと。
「ありがとう空。俺、行かなきゃ」
そう一言行って俺は駆け出した。

****

走る。
時刻は午後四時半過ぎ。美術部の活動は毎日最低でも午後五時まで行うことが決まりなので、この時間ならまだ陽介は学校に居る筈だ。
別に同じ家に住む兄弟なのだから、待っていればそのうち帰ってくる。しかし、今すぐ陽介と仲直りしたい。その気持ちが募った結果、俺は学校へと向かっていた。
「畜生、流石に、辛、いな」
途切れ途切れに言葉が漏れる。仮に同じ場面でも俺と弟が逆だったなら幾分も絵になるかもしれない。しかし、こちとら中高と自発的に運動せず生きてきた根っからの文化系である。大した距離ではないはずだが息は切れ、完全にバテていた。
公園から学校へつくのは午後五時前かと見積もっていたが、この調子だと少々超えてしまいそうである。その場合、最悪陽介が学校を後にしている可能性もあるため、できるだけ早く学校へと着きたい。
「待ってろよ、陽介。俺、やっと分かったんだ」
そう。俺は弟のことを尊敬もしていたし、嫉妬もしていた。とても立派な弟であり、兄の俺より優れた存在。だからこそ俺は昔からずっと弟とは別のことをしようとしてきた。それは弟に勝てる何かが欲しかったから……?そうじゃなかったんだ。俺は弟に勝ちたいんじゃない。優れてることを誇りたかったんじゃない。ただ誰かに、大切な人たちに、必要とされたかっただけなんだ。
空に言われて気付いた自分自身の気持ちが鮮明なものになるにつれて、自分のことで頭が一杯だった時には頭の片隅へと追いやる事が出来ていた、今朝見た弟の表情もまた鮮明に蘇ってくる。
どう思ったのかは分からない。けれど、きっと嫌な思いをした筈だ。そしてその原因が自分であるという事実に対して、俺は償わなければならない。
身体は重い。不器用な呼吸が更に胸を締め付ける。
だが走るんだ。お前は太陽だから、凄いやつだから、きっと俺が何もせずに居たって時間が経てば仲直りをしようと歩み寄ってきてくれるんだろう。でも、それじゃいけない。俺が月なら、お前が暗く沈んだ時には俺が照らしてやるんだ。
ふらふらになりながら校門をくぐった時、時計は午後五時十分を指し、校舎は真っ赤な夕焼けを羽織っていた。

****

「陽介!」
一日、叫んで走った末のガラガラになった声で弟の名前を呼びながら美術室の扉を開く。美術室に辿り着くまでに何人も部員達とすれ違った。コンクールが終わった直後だということもあるのだろう、ほぼ全ての部員が定時を境に帰路につくようだったが、その中に陽介は居なかった。下駄箱で靴を確認してから来たため、少なくとも校舎内、ほぼ確実に美術室にまだ居る筈だ。
窓から鮮やかなオレンジ色をした斜陽が射し込む美術室。その窓際で空色に染まった白いキャンパスを立て、椅子に腰掛ける陽介の姿があった。
「兄貴……」
勢いよく現れた俺を見て驚いたかのような素振りを一瞬見せた後、陽介は気まずそうな表情を浮かべながらこちらを向く。
そんな陽介の元へと俺は真っ直ぐ向かっていき、陽介の目の前で止まる。
「兄貴、その、あのさ」
「陽介」

言葉を探して歯切れの悪かった陽介に被せるように俺はもう一度、今度は落ち着いた声で弟の名を呼ぶ。
不思議なものだ。さっきまでの自分はきっと陽介と対面したら同じように言葉を探していただろう。だが今、あの時の自分が嘘のように心も頭も落ち着いていて、ただ真っ直ぐに陽介の目を見ることが出来た。
「陽介、さっきは本当にごめん。俺はお前に酷いことを言っちまった」
陽介は何か言いたそうに、けれど何も言わずに、視線を足元へ落としていた。
「あの時の言葉は……正直、嘘じゃないよ。でも、正しくはなかった。俺は何でも簡単にこなすお前の事が羨ましかった。どんなに努力したってお前のようになれないんだって思い知らされて本当に辛かった。けど、お前が居たら俺は居る意味が無いなんて、そんなことはなかった。正直、今はまだ、俺もその意味がちゃんと理解出来てないかもしれない。でもな、俺がまだ知らないことでも、気づいてない事でも、何かきっと意味があるんだって、またそう信じられる気がするんだ。その意味をこれからもずっと探していくから……俺が今朝間違ったことが、間違いだってお前にいつか見せつけてやるから、だからその……これからも、よろしく、頼む。」
陽介とこんなに向き合って、真面目な話をしたのはいつぶりだろう。思い返せば、そもそも喧嘩をすることもあまり無かった。俺の中にどこか『諦め』があったからなのか、単純に弟の出来が良すぎたせいなのか、その理由は分からないが、とにかくあまりに異質な状況であることと、弟相手に自分の心の中を包み隠さず真面目に話すその行為が何だか次第に照れくさくなってきて、話しているうちに視線は泳ぎ始めていた。最後に軽く頭を下げながら話を終え、ゆっくりと顔色を伺うように陽介を見ると、そこにはただ、呆然と涙を流し続ける陽介の姿があった。
「陽介?!」
慌てて俺が陽介の肩を両手で掴むと、呆然としていた陽介は次第に嗚咽を混じらせ、顔をぐしゃぐしゃにしながら口を開いた。
「っう……兄貴っ……俺……ほんと……っ、どうしたら良いのか……っ、もう……っ、嫌われちゃったのかなって……っ」
こんなに子供みたいに泣きじゃくる陽介を見るのはいつぶりだろうか。陽介はきっと、それほどまでに心を痛めていたのだろう。
考えてみれば当たり前だ、今回の件で陽介に非がある所なんて1つだって有りはしない。ただ俺の八つ当たりを受け、『お前なんか居なきゃよかった』と実の兄に言い放たれたようなものだったのだから、自分の立場でも傷つかない筈がないのは分かっている。しかし、動揺しきった俺は陽介が落ち着くまでゴメン、ゴメンなと言いながら陽介の背中を擦ることしか出来なかった。
暫くして陽介も落ち着きを取り戻し、瞳にたっぷり溜め込んだ涙を制服の袖で拭った所で俺はすぐ側にあった椅子に腰掛ける。すると、陽介がゆっくりと口を開いた。
「兄貴は本当に間違ってるよ。兄貴が居る意味が無い筈がないだろ。少なくとも、今までずっと一緒に過ごしてきた俺にとって、兄貴は絶対居なくちゃ駄目な存在なんだ。」
思わず、キョトンとしてしまう。
なんだって?
どんな事でも卒なく出来てしまう、これ以上ないくらい出来のいい弟。そんな弟に必要とされる理由が全く理解できない。
俺が頭の中でグルグルとその理由を考えていると、陽介はゆっくりと続けた。
「兄貴も知ってる通り、俺って中学の頃と部活も違えば、趣味だって頻繁に変わってるだろ?」
俺は頷く。確かに陽介は部活だけでなく趣味も昔とは違う気がする。例えばギターを始めてみたり、休みの日に出掛けては写真を撮って、今日は良いのが撮れたと自慢げに俺に見せてきたりと、本当に色んな事に手を伸ばし、その度に秘めた才能を垣間見ていた。
「色んな事をするのは楽しいし、好きだよ? でも俺も、何か一つ飛び抜けて夢中になれる何かをずっと探してた。色んな事に手を出したけど、モチベーションって言うのかな、長期的に同じ事を、やる気を維持したまま行うのが苦手みたいなんだ。色々と考えてやる気を維持しようとしてみたけど、無理だった。モチベーションを失っても、その状態でその何かをすることは出来るよ? でも、向上心がそこにはなかった。ただやってるだけ、遊んでるのと何ら変わりはないんだよ」
驚いた。俺から見たら、ちょこっとやればなんでも出来ているように見えていても、弟に言わせればその先へ何一つとして行けるものが無かったというのだ。
まさに天才の苦悩といった感じの、まるで自分とは次元の違っていそうな悩みを抱えていたんだなぁと、唖然としながら話を聞いていると、今度は陽介が俺のことを真っ直ぐ見つめ、そしてまた口を開いた。
「そんな時に兄貴を見たんだ。ちょうど去年の冬頃、絵を描いてる兄貴の姿を。正直普段はあんまり熱を見せない兄貴がただキャンパスと向き合って黙々と絵を描いていて、真剣で、でも楽しそうで。あぁ、俺にはここまで熱意を込めて何かを出来ないや、すごいやって。そう思った、心から尊敬したよ。俺も兄貴の後を追いかけたら、こうやってキラキラ輝きながら何かにハマれるのかなって、そう思った。だから無理言って兄貴と同じ学校に入って、同じ部活に入ったんだ。」
そういうことか。
何故、陽介が同じ高校に進学し、部活まで一緒の所に入ったのか。なんとなく誤魔化されているようで少しモヤッとしていた疑問の答えを、思わぬ所で知ることが出来た。
「兄貴と同じ部活に入って、毎日一緒に絵を描いて、今までの人生で一番何かを好きになれた時間だったし、結果として他人に最も評価してもらえるような作品を作れるようになった。でもそれは俺一人じゃ決してできなかった。兄貴がそばに居たからだよ、兄貴が居たから俺は頑張れた。兄貴が居なかったら、俺はきっと今までと同じように、成長することが出来なくなっちゃうんだ。だから、これからもずっと、兄弟として、仲間として、ライバルとして、一緒にやっていきたいんだ。」
瞬間、ぶわっと自分の中で何か熱いものが膨らんでいくような感覚になる。
なんて事だ。俺はついさっきまで、自分のことを必要としてくれる人なんて居ないと思っていた。しかし、空が、陽介が、俺の中の本当に大切な人達が、揃って俺のことを大切だと言うのだ。自分より何もかも優れてるとずっと思ってきた、そんな弟ですら俺が居ないとダメだと言う。夢でも見ているかのように信じられないことが、今、俺に向けてニコリと微笑みながら差し出された陽介の手と共に
目の前に存在しているんだ。

全く、世の中というものは上手く出来ているものである。
自分が心の底から求めていたものは、自分の一番近くに、ずっと前から存在していたんだ。
僅かに滲んだ視界の先に映る、沈みゆく夕日。夕暮れを迎える世界はこれまでと少し色を変え、窓から黄昏を孕んだ風が二人の髪を僅かに揺らす。
俺は差し出された手をしっかりと、しっかりと握り返した。


【おわり】